聖書の神は、2018年にも、生きておられます💗




昨年2017年の7月に書いた証しです。

2016年の8月1日に、日本に帰ってきてから、あと一ヶ月で、一年になります。

日本に住む場所もなく、生活するお金もほとんどなく、先は見えませんでしたが、聖霊の導きにより、日本に帰国しました。

セブとダバオの教会は、育てた弟子に任せました。

住む場所は、浅草の教会の姉妹のご好意で、5ヶ月間住まわせていただきました。
ただ、食べるためには、仕事をしなくては、いけませんでした。

高校生がするようなバイトに、何度も面接に行きました。
なかなか、仕事が決まりませんでした。

面接で4-5回、落ちた時は、さすがの私も落ち込みました。

主に祈りました。
「あなたの御心の中に生きているつもりですが、なにか違った道を歩んでいるでしょうか?主の道を示してくださいと祈りました。

東京の芝大門の宅配寿司のバイクの配達人になりました。
食べるための生活費が、与えられました。

バイクの配達は、冬場きつい。特に雨の日は、屋根のないバイクでしたので、身体が冷えて、出来れば、冬場は部屋の中の仕事を望んでいました。

主イエス様は、私の心をご存知でした。

祈っていたら、築地の国税庁で、確定申告の相談の電話のオペレーターの仕事見つかりました。

電話のオペレーターは、スーパーバイザーの監視のもと、電話が終わったら、直ぐに切って待ち受けにしなければなりませんでした。

教員時代は、授業の間の休み時間などがありました。

しかしオペレーターは、ほとんど8時間、休憩を挟みながら、1つの部屋で、100人ぐらいと一緒に仕事をして、監視のもと仕事をしました。

1140本ぐらいの電話を受けて対応するのも大変で、午後4時ぐらいには、頭がボーッとしてました。

1月から、2月末まで働きました。

思えば、全ては訓練でした。
しかし、主が共におられたので、これらの訓練で、鍛えられました。

与えられた仕事を忠実に行い、上司に徹底して仕えることを学びました。

キリストの品性が、私を通して現れるためです。

今年の2月末に、浅草の間借りの部屋を出て、介護の資格を得るために、千葉に移り、今度も、中学生の部屋4畳半を、夜の10時から朝の7時まで間借りしました。

それ以外の時間は、外で時間を過ごさなくてはいけなかったので、ゆっくり休める時間がありませんでした。

3月の一ヶ月で、介護の資格を取り、4月から介護の仕事をしました。

3月の一ヶ月と4月18日までは、また間借りでした。50日間は、全くプライバシーの無い生活でした。

隣の部屋では、障害の子供さんがいて、夜暴れ出し、寝れない日もありました。

しかしやっと、介護の仕事の給料で安い部屋を借りられるようになりました。

4月19日からです。

そして、今は、千葉の某市の、障害のある小学生のクラスの非常勤の補助教員になりました。6月19日からです。市の職員扱いです。

すべてに言えることは、聖霊様の導きに従えば、すべてが良き方向に働くということです。

また、こういう先が見えないときがあっても、主の導きに従っていくと自動ドアが開くように、事が進む。

事が進むごとに、主イエス様が生きておられる事を体験し、ストリートプリーチでも確信をもって、語れます。

生きた主イエス様にある体験は、信仰をさらに深める事が出来ました。

神社、仏閣に神はいない、聖書の神が、生きておられる本物の神であると!

ローマ人への手紙 8章

28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

私のうつ病から、癒された奇跡の証、電子書籍で販売されました。
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私 勝浦儀彦 元横浜市立高校教諭は、精神病患者でした。しかし、主イエス様が、癒してくださり、職場高校に奇跡的に復帰できました!イエスキリストは、2020年にも、生きて働いておられます。「イエス様、祈りに応えてください!」と祈ってみてください❤️

The Final Sign of second coming of Jesus! Youtube-------!