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終末時代です。最近のニセトレンドは、この教えです。気をつけてください。

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ある信頼できるクリスチャンの姉妹からです。 私、勝浦も間違いを理解しましたので、ブログにアップしました。 以下、読んでみて下さい! NARとは、”新しい使徒的宗教改革”のことで、”New Apostolic Rifometion”と言います。 故ピーター・ワーグナーが提唱したもので使徒と呼ばれている人達の下、教会がこの世の7つの領域(山)を敵から勝ち取り、地上に神の国をもたらすという考えみたいです。 これは支配神学とかキングダムナウ神学とも呼ばれています。 去年、異端問題対策で知られているウイリアムウッド師が、日本で急速に拡がるこのムーヴメントに危惧し、その危険性という内容の本をハーベストミニストリーズから出しました。 私も読みましたが、初めは第二の聖霊体験と言われている、聖霊のバプテスマを否定する神学的立場からの批判ぐらいにとらえていました。 ところが、最近このNARの背景にある支配神学のことがわかり、事の重大性に気付いて来ました。 この本で使徒と呼ばれている人達は私達がよく知っている牧師先生達です。 ベテル教会のビル・ジョンソン、トロントエアポートチャーチのジョン・アーノット、モーニングスターのリック・ジョイナー、ハーベストインターナショナルミニストリーのチェ・アン。 その他、チャク・ピアスや、預言者で知られているビル・ハモン、シンディ・ジェイコブやらまだ多数います。これらの牧師や教会が批判の対象です。 この本には、私達が聖霊の現れとするものを異常だとしているものがあり、これはウッド師の学んだ神学の影響だと思えるのです。 ところが、問題はそういうことではなく、もっと深刻なものがあったのです。 このNARの影響は世界的に及んでいます。一見して気付きにくいものです。 その考えは始めに言いましたが、教会が使徒と呼ばれるリーダーの下で、7つの山を制覇し、地上に神の御国をもたらし、それからキリストの再臨があるというものです。 天地創造の始め、アダムとエバが神から委ねられた地上の支配を、再び私達クリスチャンが取り戻すということのようです。 そのどこが悪いのか、と思う人もいると思います。 私の考えとしては、クリスチャンが悪霊を追い出し病を癒し、預言をする(吟味することが必要ですが)、ことは問題はありませ

聖書の終末預言は、信じようと信じなくても、実現します。これを読めばわかります。

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聖書の終末預言は、信じようと信じなくても、実現します。これを読めばわかります。 クリスチャンが、忽然と姿を消す! 携挙とは? 聖書 1テサロニケ4章 16: テサロニケ人への第一の手紙 / 04 章 16 節 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 17: テサロニケ人への第一の手紙 / 04 章 17 節 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。 18: テサロニケ人への第一の手紙 / 04 章 18 節 だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。 4:17 引き上げられるー携挙 教会が、7年の患難時代にいない理由 1 患難時代は、神の怒りの時代 テサロニケ人への第一の手紙 / 01 章 10 節 そして、死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出して下さるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである。 来るべき怒りー患難時代 テサロニケ人への第一の手紙 / 05 章 09 節 神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。 怒りにあわせるように定めたのではない ここの救いは、身体のあがない、栄化 神の御怒りには、あわない。 神の御怒りとは? 黙示録6ー18章に書かれている。患難時代のこと。 神は、患難時代を3つに分けている。 7つの封印 7つのラッパ 7つの鉢 封印時代とは? ヨハネの黙示録 / 06 章 12 節 小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、 ヨハネの黙示録 / 06 章 16 節

人生の雨の日に、教会は、傘を貸す。

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銀行は、晴れの日に、傘を必要ないのに、貸そうとし、 雨の日に必要な傘を貸さないで、取り上げるとよく言われてるそうです。 企業の経営が、うまくいかない大変な時に、銀行は金を貸さない。 その企業が潰れようが、関係ない。 コロナのせいで、多くの教会はネットでの礼拝を信徒に強いている。 ウサギ小屋の家で、家族が家庭礼拝する事を勧めている。 家族で、コロナが蔓延したらどうなるのか? ネットで、「皆さん、元気にされていますか?祈っています。」 一方的な配信では、信徒の家での、苦しみは見えない。 私は、榎本先生と信仰が一致しています。 榎本先生が言われました。 「この時期、教会を閉じているのは、敵に負けている。」 私は、アーメンでした。 教会は、祈りの家であるべきです。 一部のスタッフのためだけでなく、信徒が自由に祈りに来れる場所。 三密は、時間差で来る事で、避けられます。 羊飼いは、羊のために死ぬべきです。 吉村寝ろ!のハッシュタグが、多く見られている。大阪の知事が、非常事態宣言で、毎日睡眠を少なくしても対応している。 だから、休んでくださいと言う寝ろです。 教会の牧師先生で、何牧師寝ろ!と信徒から言われる方がいたら素晴らしいですね。 私たちは、連絡頂ければ、365日、祈りのために、教会を解放します。 但し、他教会の信徒を奪う事なく、配慮します。 一時的な避難所と考えてくださって結構です。