ユダヤ人のアミール氏から、学んだ内容です。地球の終わりの時代に起こる「携挙」とは?






携挙ってなに?

一般の人は、分からないですね。

「携挙」という言葉は、聖書には登場しません。

そのため、非常に多くの教会が、携挙について教える事をしないか、あるいは、携挙と言うものに関して、間違った考えを持っています。

「携挙」という言葉は、本当に聖書には、無いからです。

聖書の新約聖書の言語は、大部分がギリシャ語です。

そして、携挙が該当するギリシャ語の単語は、「ハーパーゾ」です。

そして、それがラテン語に訳されて、「ラプトゥロ(RAPTURO)」になり、そこから「ラプチャー」Rapture-携挙」という語が生まれました。

携挙( Rapture)という言葉は、ラテン語から来ていて、そのラテン語はギリシャ語から取られたもので、そのギリシャ語は、「ハーパーゾ」です。

そしてそれは、聖書に出てくる言葉なのです。

1テサロニケ人への手紙4章17節(口語訳)

それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。


英語(ASV)訳
17 then we that are alive, that are left, shall together with them be caught up in the clouds, to meet the Lord in the air: and so shall we ever be with the Lord.

中国語
17 以後我們這活著還存留的人、必和他們一同被提到雲裏、在空中與主相遇.這樣、我們就要和主永遠同在。

17 以后我们这活着还存留的人、必和他们一同被提到云里、在空中与主相遇.这样、我们就要和主永远同在。


Interleave ( KJV )

17 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。
17 Then  we  which  are alive  {and} remain shall be caught up together with  them in the clouds  to meet the Lord  in the air : and  so  shall we  ever  be  with  the Lord .

文語訳
17 後に生きて存れる我らは、彼らと共に雲のうちに取り去られ、空中にて主を迎へ、斯くていつまでも主と偕に居るべし。

そして、それだけでなく、ハーパーゾという言葉は、それ以外の場所でも見つかります。

「取り去られる」とか「連れ去られる」というのは、地上から天に、というだけでなく、ここからずっと離れた通りまで、今この瞬間にという事でもあり得ます。

例えば、交通渋滞にはまっている時に、瞬時に消えて、交通渋滞を避けられるという事です。

ハレルヤ!

それだけでも奇跡ですね。

そのハーパーゾという言葉は、使徒の働き8章39節に、登場します。

39 ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。

39 And when they came up out of the water, the Spirit of the Lord caught away Philip; and the eunuch saw him no more, for he went on his way rejoicing.

39 從水裏上來、主的靈把腓利提了去、太監也不再見他了、就歡歡喜喜的走路。

伝道者ピリポが、エチオピア人の宦官と馬車に同乗して、その宦官にメシアの事を教えていたシーンです。

この時、ピリポは、ヨハネの福音書3章16節は、引用しませんでした。

なぜなら、彼は、新約聖書がまだ発行されていない時代なので、旧約聖書の中から、引用しました。

その時、ピリポは馬車に乗って、そのエチオピア人の宦官と同席し、一つの書だけを使いました。

どの書か?

ご存知だと思います。イザヤ書です。

イザヤ書53章

7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。
9 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。

7 He was oppressed, yet when he was afflicted he opened not his mouth; as a lamb that is led to the slaughter, and as a sheep that before its shearers is dumb, so he opened not his mouth.
8 By oppression and judgment he was taken away; and as for his generation, who considered that he was cut off out of the land of the living for the transgression of my people to whom the stroke [was due]?
9 And they made his grave with the wicked, and with a rich man in his death; although he had done no violence, neither was any deceit in his mouth.

7 他被欺壓、在受苦的時候卻不開口.〔或作他受欺壓卻自卑不開口〕他像羊羔被牽到宰殺之地、又像羊在剪毛的人手下無聲、他也是這樣不開口.
8 因受欺壓和審判他被奪去.至於他同世的人、誰想他受鞭打、從活人之地被剪除、是因我百姓的罪過呢。
9 他雖然未行強暴、口中也沒有詭詐、人還使他與惡人同埋.誰知死的時候與財主同葬。

聖書によると、ピリポはイザヤ書を読んで、そのエチオピア人を主に導きます。

彼らは、馬車を止め、水の中へ降りて行って、宦官にバプテスマを授けました。

それからどうなったかというと、聖書には、「ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行った。」
とあります。

「ハーパーゾ」「ラプトゥロ(RAPTURO)」「ラプチャー」Rapture-携挙」です。

ピリポは、消えてしまいました。

そのエチオピア人が信じてから、まだ2分ぐらいしか経っていないですね。

彼は、洗礼を受けたばかりでしたが、携挙をという事象を体験したのです。

その後が、興味深いです。

ピリポが、突然目の前から消えてしまっても、これは奇妙だと言って、逃げ出す代わりに、


宦官はよろこびながら旅をつづけた。とあります。

英語では、 for he went on his way rejoicing.

神の霊が、私たちの内にいて、イエス様を主としているなら、喜びがあります。

その後、ピリポは、天国でなく、また別の所に、移されました。
この地上に、まだ福音宣教の使命があったからです。

使徒8章

40 その後、ピリポはアゾトに姿をあらわして、町々をめぐり歩き、いたるところで福音を宣べ伝えて、ついにカイザリヤに着いた。

40 But Philip was found at Azotus: and passing through he preached the gospel to all the cities, till he came to Caesarea. 

40 後來有人在亞鎖都遇見腓利、他走遍那地方、在各城宣傳福音、直到該撒利亞。

私、勝浦も、携挙が近いと感じながら、まだなので、祈り続けていますが、主がまだその計画を、先延ばしされているように思います。

なぜなら、まだ、救われるべき魂がいるという事ですね。

ですから、私は、宣教に邁進しています。

2018年8月1日に、フィリピンに到着して、30日まで宣教に来ています。

1ヶ月、宣教に来る事を、決めていましたが、現地に来て、イエス様からサプライズを頂いています。

こちらの国家組織、アメリカで言えば、FBI のような、NBI の、「アンチドラッグキャンペーン」に、日本からただ一人招かれ、VIP席に座らせて頂きました。

目の前で、フィリピンの世界的に有名な、マークマバサさんの、生歌を聞かせて頂きました。

その時に彼が歌った曲は、昨年ヒットしたハリウッド映画、「グレイテストショーマン」の中の曲「Never be enough」を彼が男性でカバーしています。

その曲に、感動を覚えました。

ホテルに戻り、彼の事をネットで調べたら、ビックリです。

そして、その曲の意味をよく考えている時に、ある思いがきました。

Never be enough 、これは、イエス様の願いでもあると思いました。

まだ、充分でない!

敵に奪われた失われた魂を、イエス様の元に獲得する使命があります。

次に↓


なぜ、私たちは携挙されなければならないのでしょうか?

それには、理由があります。

イエス様は、私たちを迎えに来ると約束されました。

イエス様は、必ず約束を守られます。

ヨハネの福音書 14章

2 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。

3 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。

ASV

2 In my Father's house are many mansions; if it were not so, I would have told you; for I go to prepare a place for you.

3 And if I go and prepare a place for you, I come again, and will receive you unto myself; that where I am, ye may be also.

約翰福音 14

2 在我父的家裏、有許多住處.若是沒有、我就早已告訴你們了.我去原是為你們預備地方去。

3 我若去為你們預備了地方、就必再來接你們到我那裏去.我在那裏、叫你們也在那裏。

以上の聖書箇所から、今イエス様は、私たちの場所を備えるために、働いておられるという事です。

場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。

この迎えるという意味の、このギリシャ語は、私たちがイエス様の所に行って、イエス様が私たちを受け入れるという事を示しています。

わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。

ここで、住所変更するのは、誰でしょうか?

私たちクリスチャンです。

今、イエス様は、どこにおられますか?

イエス様は、今、御父の右におられます。天におられるのです。

私たちは、今どこにいますか?

私たちは、この地上にいます。イエス様は、天におられます。

私たちクリスチャンが、天に住所変更するのです。

ピリ 3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。 

PHIL 3:20 For our citizenship is in heaven; whence also we wait for a Savior, the Lord Jesus Christ:

腓立比書 3:20 我們卻是天上的國民.並且等候救主、就是主耶穌基督、從天上降臨。

ハレルヤ!

私たちクリスチャンの国籍は、天にあります。

そこに行くまで、私たちすべてのクリスチャンが、すべき使命があります。

クリスチャン生活をしていて、心に喜びがないのは、なぜでしょうか?

それは、聖霊に100%満たされていないので、いつも間違った選択をしているからです。

私たちのする選択は、私たちの罪の性質によって左右されます。

ポンテオピラトが、イエス様を群衆の前に連れ出した時、彼はその群衆に向かって言いました。

「これは、イエスだ。でもお前たちが望むなら、私はこっちの男を釈放しよう。」

と言いました。

さて、もう一人の男の名前は何だったでしょうか?

バラバです。

福音書には、バラバの名前が、イエスだったと書かれているのをご存知でしたか?

イエスというのは、ヘブライ語では一般的な名前でした。

イエシュアと言って、救いという意味があります。

エズラ記にもネヘミヤ記にも、出てくる一般的な名前でした。

それで、イエス・バラバという名前の男がいました。

そして、ナザレのイエスと呼ばれる男もいました。

イエスは、御父の子ですね。

もう一人のバラバについてですが、バラバという意味をご存知ですか?

バル・アバ(バラバ)と言うのは、父の息子という意味です。

アバとは父の事で、バルとは「~の息子」を意味します。

「バルミツバ」が「戒律の子」という意味であるように「さあ、ここに『御父の子』イエスと、『ある父の子』イエスがいる、どちらを釈放して欲しいか。」

群衆が求めたのは、どちらでしょうか。

間違った男です。

なぜ、バラバを選んだのでしょうか?

それは、その方が、居心地が良かったからです。

このバラバは、私たちが、悔い改めなければならないとか、変わらなければならないとか、改善しなければならないとか、言わないからです。

この男は、私たちの偽善や宗教性を暴いたりしないから、私たちは不道徳を続けることができるからです。


世界中の巨大教会の多くが、現実にナザレのイエスを伝道していない理由は、ここにあります。

彼らが伝道しているのは、もう一方のイエス「ある父の子」です。

そっちのイエスなら、悔い改める必要がなく、改善する必要がなく、神の御心に叶う歩みをしなくていいのです。

今、新しい神学が、フィリピンに入り込んでいます。

「すべての人は、もうすでに救われているから、救いの必要はない」とまで言っているのをご存知ですか。

「地獄もないし、携挙もない、すべての人が救われています。」

「ヒトラーも救われて天国にいます。ISIS のテロリストたちも天国にいます。」

「誰もが天国に行くのです。」

とんでもないですね。

でも、考えてみてください。それが人々の聞きたがっている事なのです。

もしも、あなたがその罪のうちに死んでいたら、あなたは救われているよと、誰かに言ってもらいたいのです。

そして、あなたは変わらなければならないと言われる場所よりも、むしろ、あなたは救われていると言ってくれる場所の方に行くものです。

あなたが行っている教会は、悔い改め、イエスキリストの十字架と復活を語っているでしょうか?

そして、神の御心を毎日求め、御心の中に生きる喜びを語っているでしょうか?

イエスキリストは、人口の1%のクリスチャンの日本にも、福音で救いたいと願っておられます。

イエス様は、近いです。

神の国と神の義を求めることを、第一に優先しましょう!

イエス様は、迎えに来られるという約束を、100%守ってくださいます。

イエス様に、信頼して、聖霊に満たされ、歩んでいきましょう!



携挙されるための基準・条件とは?

ヨハネの福音書 11章

24 マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
25 イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。

ABS

25 Jesus said unto her, I am the resurrection, and the life: he that believeth on me, though he die, yet shall he live;
26 and whosoever liveth and believeth on me shall never die. Believest thou this?

中国語
25 耶穌對他說、復活在我、生命也在我.信我的人、雖然死了、也必復活.
26 凡活著信我的人、必永遠不死。你信這話麼。

イエス様は、携挙の事を、非常に美しく語られました。

イエス様は、マルタに語りかけました。

「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。』」

このわたし、イエスがよみがえりであり、いのちなのだと。

他には誰もそんなことを言っている人はいません。

「わたしを信じる者は、」というこの部分が、条件です。

あなたは、イエス様を信じなければならないのです。

信じると言うことは、イエス様のうちにとどまらなければなりません。

イエス様に、ついて行かなければなりません。

イエス様に、従わなければなりません。

イエス様は、こうおっしゃられています。

「わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」

これは、死んだ者たちが、また生きることを示しています。

「また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」

言い換えれば、イエス様は、死んだ者たちは、また生き、まだ生きている者たちは、死なないとおっしゃっているのです。

そして、イエス様は、聖書全体の中で、最も重要な質問をされます。

「このことを信じますか。」

携挙が起こって、反キリストが世に現れて、大混乱や大艱難が訪れます。

それは、確かなことです。動かない事実です。

問題は、あなたが信じるかということです。

マタイの福音書 24章

41 ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。
42 だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。

ASV

41 two women grinding at the mill; one is taken, and one is left.
42 Watch therefore: for ye know not on what day your Lord cometh.

中国語
41 兩個女人推磨.取去一個、撇下一個。
42 所以你們要儆醒、因為不知道你們的主是那一天來到。

携挙は、皆が普通に生活している時に、あなたには分からない時に、起こります。

ですから、私たちは、用意ができていなくてはならないのです。

飛行機の操縦士が、二人とも、信者だったらどうなると思いますか?

二人とも、パッと消えるんです。

キャビンアテンダントが、乗客になんと言うのか、知りたいですね。

「どなたか、操縦のできる方は、いらっしゃいますか?」

携挙は、いつ起きるのでしょうか?

マタイの福音書 24章

36 その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。
37 人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。
38 すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。
39 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。

ASV

36 But of that day and hour knoweth no one, not even the angels of heaven, neither the Son, but the Father only.
37 And as the days of Noah, so shall be the coming of the Son of man.
38 For as in those days which were before the flood they were eating and drinking, marrying and giving in marriage, until the day that Noah entered into the ark,
39 and they knew not until the flood came, and took them all away; so shall be the coming of the Son of man.

中国語


36 但那日子、那時辰、沒有人知道、連天上的使者也不知道、子也不知道、惟獨父知道。
37 挪亞的日子怎樣、人子降臨也要怎樣。
38 當洪水以前的日子、人照常吃喝嫁娶、直到挪亞進方舟的那日.
39 不知不覺洪水來了、把他們全都沖去.人子降臨也要這樣。

いつ起きるか、わからないので、準備が必要です。

ノアが、500歳の時に、将来を告げられ、信じ600歳になるまで、忠実に箱舟を造っていました。


100年間、忠実に、神の言葉を信じて生きていました。

ノアの周りの人々の、彼に対する反応は、想像できると思います。

最後に、携挙のタイミングについて、お話しします。

3つの選択肢があります。

艱難の前か、艱難の最中か、艱難の後か、です。

聖書の神は、私たちを完全に打ちのめして、天国へ導くでしょうか?

聖書には、ヨハネの黙示録3章

10 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。

ASV

10 Because thou didst keep the word of my patience, I also will keep thee from the hour of trial, that which is to come upon the whole world, to try them that dwell upon the earth.

中国語

10 你既遵守我忍耐的道、我必在普天下人受試煉的時候、保守你免去你的試煉。

最後のみ言葉です。

1テサロニケ1章

10 そして、死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出して下さるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである。

ASV

10 and to wait for his Son from heaven, whom he raised from the dead, Jesus, who delivereth us from the wrath to come. 

中国語

10 等候他兒子從天降臨、就是他從死裏復活的、那位救我們脫離將來忿怒的耶穌。


天国で、お会いしましょう!

 See you in Heaven !

2019年12月26日

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 宣教師 勝浦儀彦






























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 勝浦儀彦 ←Google で検索すると、私の活動がわかりますね。

私 勝浦儀彦 元横浜市立高校教諭は、精神病患者でした。しかし、主イエス様が、癒してくださり、職場高校に奇跡的に復帰できました!イエスキリストは、2020年にも、生きて働いておられます。「イエス様、祈りに応えてください!」と祈ってみてください❤️

The Final Sign of second coming of Jesus! Youtube-------!